2回目終了

先日、ハドソン川に不時着した旅客機の回想ドキュメントをテレビで放映していた。

川に無事不時着したものの、今度は水没の不安にさいまれながら、船の救助を待つという切実なものだった。

船は、なかなか来ず、遠く通かかった客船が気が付き、救助に向かおうとするも、船の乗客達は、もし、テロだったら(うそ)どうするのか?、誰も彼も自分のことで精いっぱいだった。しかし、船の船長は無理やり船の乗客を説得して救助に向かうのだった。

 

”目の前に助けを求めている人がいるのに、なにもしようとしないのか?

アメリカはそんな国になってしまったのか?”

 

と乗客を説得する。

911以降のアメリカ。特にニューヨーク市民にとっては航空機事故といえばそれは、吐き気がするほど痛ましくとても現実とは思えないほどの苦しい思いであったのだから無理もない。

翼の上や救命具にようやく身ゆだねている旅客機乗客のもとへようやく船が到着する。

船長ともう一人の乗組員は飛行機の乗客達を必死で引きあげる。

しかし、旅客機の乗客は待ちきれず、川に飛び込むものさえいる。

船長は思った、 これでは全員助けられない!

しかし、その瞬間、

あんなに反対していた船の乗客達が、川に飛び込んだ旅客機の乗客達に浮輪を投げ入れるなど救助活動を自主的にはじめてくれたのだ。

そうして旅客機の乗客達は飛行機が沈没する30分前に全員救助されたのであった。

 

船の上の人ができることなんて限られている。

浮き輪を投げ入れることなんて自体は大したことはないが、その大したことじゃないことが人の命を救う、それを待っている人がいる。

 

まだ溺れそうな人を横目に船上パーティーするなど、末恐ろしい、とんでもないことである。