あの頃の記憶

家の近所にヘリポートがあった。その頃は、自分の背丈よりも高い葦のような草に覆われた場所で、この先に何があるのだろうと若干冒険気分でその草に囲まれた河川敷の砂利道を行くと突然開けた場所にアスファルトで整地されたヘリポートがあった。       そのヘリポートには決まってラジコンのヘリコプターで遊ぶオジサン達がいた。     時には飛行機もあり、Uコンもあり、実際のヘリコプターが離着陸する場所で勝手にそこに入って沢山の人たちが群れていた。(勝手かどうか知らないがその当時でもホントは立ち入り禁止だったと思う。ーたまには本物のヘリコプターも降りてきてパイロットのオジサンと話をしたこともあったナ。うん、のんきな時代だ。今なら問題になりそう。。。)

昨今ドローンなるものができて空中に止まる模型は珍しくはなくなったが、当時のラジコンヘリコプターは、まだジャイロもなくてそれはそれは大変そうだった。          飛行機のように飛ぶことは割と簡単だったみただけど、ホバリングができないと浮上したら最後、着陸することがままならないのだ。  なので皆、ホバリングの練習ばかりしていて見ている我々お子様達はツマラナイ思いでそれをみつめていた。          ある人は50cmも浮上したかと思うとバランスを失い、ローターを破損、ある人は浮き上がることすらなしでローターが地面に接触し、その破片が飛び散る!。今思えばなんて危険なことだったか。操縦ままならない大きなラジコンヘリが子供の近くであれよあれよといったりきたりしているし、オジサン達だって、ローターのブレを見るためにローターに目を凝らして保護メガネもかけずに調整をしていたのだから。。。

いつも同じオジサンたちがいるので顔は今でもなんとなく覚えている人もいる。     その中で黒縁のメガネかけた色の浅黒い人がホバリングからやや前進する姿勢で高さ1mくらいのところをやったの思いでプロポから手を放してもゆっくり進むことに成功した!そこにいた仲間のオジサン達に大きな声で見てみて!と叫んでいたのをふと思い出した。         その直後、着陸らしいものにも至らずバキバキっとなったようだったけど。。

小学生の私には皆、どの方も一様にオジサンだったけど、今、存命だったらそのかたはいったいおいくつになっているだろうか? 当時35歳くらいとして、44年前くらいだったら。。もうおじいちゃんは間違いない。 う~ん、その方たちに当時の思い出話でも聞かせてもらいたいな~。

それから数年してジャイロが開発されて少しは楽になったようにみえたけど、それでもかなり大変そうで、ラジコンのヘリコプターは大人の”子供”が楽しむ贅沢な趣味だったと思う。

当時だったらオジサン達は、何が主な趣味だったろうか?今と同じでゴルフとかかな?         大人の遊びとしてはレアな遊びではなかったかと今思う。

ヒロボー?とかいうオレンジ色の簡易なボディーをしたものが多く、あとはジェットレンジャーって言ったかな?ちゃんとしたボディーのヘリもあった。2ローターのヘリもあったな。 60か、45エンジンが主流だったのかな? 2サイクルのエンジンから紫色の煙を生きよい良くはきだし、ヒマシ油の焦げるにおいが今も懐かしい。。                 ヘリならニトロは15%あたりが主流だったかね? あ~、懐かしい。二酸化炭素を吐き出すふとどきさが素敵だったね。