MINORITY

まるで自分が第一発見者のような気持ちなって、応援している。とやかくこの人、この人達を応援してあげたいという気持ちに駆られひそかに登録したり、時折コメントなぞをしていたりする。 そういった人は少なくなく、何か同じ好のひたしみさえわいてくることもある。 そうこうしているうちにその的である彼らはやがて人気に興じてグッズ販売などをいつの間にか試みていたり、本を出版したりして驚かさせることがある。

そして、その瞬間にもう、対象ではなく、過去の人達となることが多々ある。

もちろん、それはそれでいい。 あのビートルズでさえも失神するほど興じた当初のファンはメジャーになったビートルズには見向きもしなくなり過去の人となった人も多かったそうだ。。わかる。

もちろん、一般的には誰もが疑うことなく有名であることは間違いないのだけれど。

 

実は、Youtubeの話

先日までひそかに応援していたいたのに、急に商売っけを出してしまったので見ているこちらは、なんだそうだったのかと白けてしまうのです。

ダメですね。 もともと日本人は判官贔屓する人種だとなにかで見聞きしたようだけれど、そんな様な気持ち、うーん、なんていうか、MINORITYか、そんなこともあるのかも知れないな。

ひねくれているのかな。

 

 

 

MINORITY

まるで自分が第一発見者のような気持ちなって、応援している。とやかくこの人、この人達を応援してあげたいという気持ちに駆られひそかに登録したり、時折コメントなぞをしていたりする。 そういった人は少なくなく、何か同じ好のひたしみさえわいてくることもある。 そうこうしているうちにその的である彼らはやがて人気に興じてグッズ販売などをいつの間にか試みていたり、本を出版したりして驚かさせることがある。

そして、その瞬間にもう、対象ではなく、過去の人達となることが多々ある。

もちろん、それはそれでいい。 あのビートルズでさえも失神するほど興じた当初のファンはメジャーになったビートルズには見向きもしなくなり過去の人となる。

もちろん、一般的には誰もが疑うことなく有名であることは間違いないのだけれど。

 

実は、Youtubeの話

先日までひそかに応援していたいたのに、急に商売っけを出してしまったので見ているこちらは、なんだそうだったのかと白けてしまうのです。

ダメですね。 もともと日本人は判官贔屓する人種だとなにかで見聞きしたようだけれど、そんな気持ちもあるのかも知れないな。

ひねくれているな。 やっぱり私は。

 

 

 

山崎と白州と後ろ姿

お正月だからいいじゃないか。

秘蔵にしていた白州の栓を開けたのが昨日、

そして山崎を今、開けた。

どちらも美味しい。

そうですね~優等生です。白州はいくぶんクセはあるものの

それでも、本当の悪ではなく、煙草を燻らして悪ぶっているだけだ。

その傍らで勉強をしいる山崎がいる。でも

彼は、ガリ勉とかでなく、ドラえもんに出てくるデキスギくん

そのものだ。よくできているのである。そしてどちらも仲良しである。

あー、日本に住んでいて良いなと、思う一瞬でもある。

 

数年前、ある小規模の宴会で、山崎の12年を出してくれた店があった。

それは、ありがたいといただいたものだが、ウイスキーは、宴会で飲む

ものではないなと、今になってもつくづく思う。

おしゃべりやつまみが、邪魔なのだ。邪魔って言ってたいそうなことではなく

逆に言えばその場にウイスキーが邪魔だったのかも知れない。

 

焼酎や日本酒にはうまい肴、ワインにはペアリングしたい料理があってしかり。

けれどウヰスキーはひとりぽっちがお似合いだ。それも食後にね。。。

 

さて、タイトルの後ろ姿とはなんぞや? ってことだけれども、

前述とは、まったく関係ない、先日UPしたルノー4プロトタイプのリアビューの

写真です。

なんともまーぶっきらぼうで、全面、側面のデザインに嗜好を凝らしたせいで力つきてしまい、スパンっと斜め70度にぶったぎったのがそれである。

それでもイチジクみたいな形のサイドマーカー、呼び鈴のような形のリアランプらしきものが、それを補うようにチョコンと据えられてなんとか体裁を保とうとしている。 

そう、宴会に似合わない、ひとりぼっちがお似合いのウイスキーのように。

でも、キライじゃないよ、それも、これも。

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La RENAULT

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RENAULT4

ちょっと前にフランス語で綴られた本を入手した。

なかなか興味をひく点がいくつかあったのでその本の中からこれから一部抜粋していこうと思う。まず最初がこれ。

なにせおフランス語なので皆目何が書かれているかわからない。こちらの写真はどうやらルノー4のプロトタイプみたいだ。

私個人としては、こっちの方がいいな。 

お餅の上に3/4の大きさのお餅を乗っけたようなデザインでリアは、その2つのお餅を包丁で切ろうとしたら思いのほか硬くてまっすぐ切れずに70度程度に傾いてストンと一気に切り落とされらようである。この当時に2BOXカーの原型を拵えたのは素晴らしい。元祖5ドアなのだろうな、きっと。

今も昔もデザインの段階から市販になるまで随分と角がなくなってしまうように思えるのだがルノー4も例外ではなかったようだ。

 

 

拝啓 田村セツコ様

今日は、あなたにお会いしたく。

 

今、だからこそ、貴女にお会いしたく存じます。

 

勇気をもらえるのです。

 

100ヶ条拝見させて頂きました。

 

多分、必然でした。導かれたのかも知れません。

 

おちゃめですし、そしてなにより素適です。

 

ありがとうございます。

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前橋文学館

 

ひっかかりとからまり

引っかかる、絡まる、 不思議ですね。

紐がくるくる巻いてある。コードが束べねてある。ちょっと前まで(私は今も)のイヤホン。

使う時、どうしてあのようになるのだろう。 一度としてすんなり解けたことがない。

これを証明する数式でもあれば欲しいものだ。

それは、まったく人生みたいなもので、思い通り行かない、すんなり行く事はほぼない。

それと同じだ。

始末のやり方をある法則をもって片づけておけばこのような事はないのだろうが、

それができない、いつもまで経っても学ばない、学べない。

いや~、困ったな~。

大切なこと

私には2人の兄が”いた”。

上の兄の影響だと思うし、当時の子供なら極普通の流れで、僕はプラモデルを作るのが大好きだった。 小学校4年生の時はタミヤの1/48に凝ってジオラマなんかを造ったりもしていた。

これは、それよりももっと前の話だ。当時、なけなしの小遣いをはたいて50円やら100円やらのプラモデルをTERADA文房具店で買うことが度々あった。まだ小学校1、2年だろうか?そのあたりの記憶は薄い。。50円のプラモデルは大抵、どこかの国の戦闘機で、メッサーシュミットとかスピットファイヤーかなんかの簡単な構造のプラモデルだ。それでもそれを作ると、一人で空中戦闘ごっこをして何時間も夢中になっていたようなこともあったように記憶している。。。

あるとき、コタツにもぐる(赤外線の赤い光の電気コタツだ!)と、えっとその前にコタツの説明が必要ですね、私は、あの赤い光の暖かい、時には熱い、あの光がなんとなく好きでたびたびコタツの中に頭を、いや、体ごと突っ込んでいるときがあった、まるで猫がそうするようにね。

その赤い光の中に見つけてしまったのだ。あれを。

それは、革のようなもので作られた茶色と黒の縞々のラグビーボールの形をキーホルダー付のサイフであった。それは紛れもない下の兄のサイフであった。その中に数百円のお金が入っていた。

どっきん、ドッキン、心臓が強く脈打つ、ほとんど無意識に僕はその中から200円を抜き取っていた。

そしてそれを持ってTERADA文房具店へ直行した。そこは文房具店ではあったけれどもオモチャやらプラモデルやら、おおよそ子供が欲しいものはとり揃っていた。小学校の近くにあるんだもの、罪なお店だ。。

買ったのは、当時のレーシングカーだ。白いボディー、ミッドシップされたエンジンは8連だか10連だかのキャブのようなメッキパーツが光輝いている。とてつもなく大きなウイングが後ろに聳えている。今思えばトヨタ7かなにかかも知れない。

でも、僕はその200円のプラモデルを作ることができなかった。50円、100円のプラモデルと比べて、それはパーツが多くて僕には難しかったのだ。

僕はそれを上の兄に頼んで作ってもらったと記憶している。

出来上がったピカピカのそのレーシンガープラモデルを僕は、誇らしげに家族が集うテレビの上に飾ったのだ。(昨今、テレビの上が物置なんて話はなくなったね、熊の木彫りとか、王将とか、一番の飾りものはテレビの上と決まっていた、ビニールのレース調の下敷きを敷いてね)

家族で食事をしているとき、早速、母が、その異変に気が付いた、 〇〇〇!、そのプラモデルはいくらしたんだい? 僕はすかさず答えた 50円ってね。

 

”当時の”子供の自分にはまったくそれがウソだなんてバレるはずもなかろうと自分の尺度で計算しているから愚かなものだ、ひとつついたウソでもう犯した罪はまったく過去のものとなり、綺麗さっぱりその夜はぐっすり寝たのだろう。

翌日か、何日してかわからない、 〇〇〇来なさい! と呼び出された。

父と母がそこに座っていた。その雰囲気は初めてのことだった。

 そこに座りなさい。。

まさに波平に怒られるカツオくんのそれだった。

どのように、追求されたか覚えていない。下の兄のサイフから200円がなくなっていたこと、突然真新しい、明らかに50円ではないプラモデルと、僕の怪しい言葉がまさに点と点をいとも簡単に定規なんか使わないで手書きで簡単に繋がりを突き付けられたのであろう、そして大して長くはないいくつかの言葉のやり取りがなされ、あっと言う間の時間が経過するとともにまたどっきん、ドッキンと心臓が大きく鼓動し、僕の目から涙がボロボロとこぼれ落ちた。そしてゴメンなさいと、大きく、深く誤って、心底反省し、下の兄にも謝るように言われ、またもや涙をボロボロ流した。

もう、こんなことはするまい、まだ至極若い脳の表皮にハッキリと刻み込まれる。そうして学ぶのだ。これは悪いことだった、やってはイケないことだったのだと。

そうやって子供のうちに悪いことをしておいて良かったのだろうなと、よくない事件、事象をテレビ等でみて思うことが度々ある。きっと、あの人達は、子供の頃、僕よりもずっといい子だったのかも知れないと。。

そして、まったくもって繋がっているのかも知れないと思うもこともある。あのとき何故、コタツの中のすみっこに兄のサイフが落ちていたのか、50年以上前にそれはすでの教えられていたのだと。それが神様っていうのなら、運命のシークエンスだっていうのなら、きっとそうなのかなって。