読書が趣味です。 なんて嘘ばっかり

宴会やら、そのような席で初対面の方と話をする機会があって、

趣味の話に高じてくるときがある。

やれ、ゴルフだ、釣りだ、自転車だとか。。。

〇〇さんは、どんな趣味がありますか? などど聞かれたとき、

ふと、” 読書です ” と答えたとき、

相手の人がひどくつまらない顔をして、僕のことをなんてつまらない

人間なのだろうという目でみつめてそれっきり会話が消滅してしまう

ことがあった。

なんで?

そうなのですか~、どんな本を読んでいるのですか?とか、

ほう、何かおもしろ本はありましたか?とか、

話の膨らませようもあろうかと思ったのだけれでも、” 宴会 ” 的な

ところでこういうのってダメだったみたいです。

たぶん、ゴルフですっとかいう答えを期待して、

そうですか!今度一緒に行きましょう!

なんて感じになりたかったのだと思うと、ちょっと相手に申し訳ないと思う気さえした。

だって、ゴルフなんてやらないし。

 

しかし、実は、それで良かったのです。

ホントのところ読書は、僕にとって趣味という領域には達していないから。

本を読むって国語の授業みたいで何か知識を得なければならない極めて

真面目な部類にまだあって、趣味という軽々しいものじゃない。。。

そう、まじめに読むようになったのだってここ10年にならない。

それも、本を読むなら純文学といちいち、そこから始まって明治~昭和初期の

文豪たちの本ばかりを探しもとめて、ようやく最近になってやっと、ポツリと

村上春樹さんの本を読み始めるというなんともヘンテコな道を辿っている。

(大して読み数も及んでいないけど)

 

本を読みながら、笑ったり、関心したり、色々な感情がとおり過ぎるけど

やっぱり、” 勉強 ” のにおいがするのです。

そう、めんどくさくて、イヤなやつの部類。

そういうこともあってか、何か知らない漢字があるといちいち調べるし、

固有名詞が出るたびに検索したりする。そして、何か参考になることが

あるとそれを覚えようとしたりする。だからひどく疲れることもある。

(全然覚えられなし、まったく間違って伝えることさえあるけれども。。)

まだまだです、 いや、ずっとダメかも知れない。趣味と言えるには。。。

ただ、そういえるような人になりたかったのかも?とも思う。

今でも、寝付かれないときは、なるべく興味のない本を読んだりするの

を継続している。

そうすると10分もしないうちに眠気が襲ってくる。大抵の場合。

そうか、趣味と言うより睡眠薬的なものなのかな?

 

何かお薬でもお飲みなっていますか?

 

などど、医者に聞かれたとき、” 読書を少々” って言ってみたりして、

今度は、なにか違うおかしな人という目で見らることこの上ない

と思うと少し楽しくなってきたりもした。

 

 

 

 

雪の日の読書 と思うに。。

本を読むんだって 他になにもしたくないから 雪があたりを覆い あたりはぼやっと銀色   柔らかな明かりで それを照らして 一文字、一文字いつもより 丁寧に   本を読むんだって 他になんもしたくないから? 違うんだ 昼からこの明かりで 照らしてみたくなったんだ 古本から浮かび出る活字が いつもより良い演技をしてくれんだ 雪の日だからね       数年前にBarになんどか足を運んだ。アイラを一通り試したくて。 あまりにも種類が多くてとても制覇なんてできなかったけれども それらを演出してくれるのは仄かにオレンジ色した小さなスポットライト。 向こうの席でどこからか来た外国人がシガーを燻らせて、その煙が ひかりを舞台にしてそっととおり過ぎていく。 これ、正しいBar、というかこれぞBarだよね?と自分では思っている。 いくつかのBarへ行ってみたけど、それに叶うお店は2つほどだった。 やけに明るい店はこの演出が実現できないので。。。 僕自身もなにか落ち着かないし。 僕は、煙草は吸わないけれども、Barには煙がなくちゃいけない、 なくちゃいけないなんて酷い話だけれども、そう思っている。 だって、そういうところなんだもの。 もし、それがイヤだったらBarなんていっちゃいけない、とまで思ったりもする。 まして、アイラを嗜んで煙が嫌いだなんてあるハズもなかろう。 どっちにしたって健康的ではないのだから。   今、目の前にはシガーの煙はないけれども入れたての珈琲のポカポカ した湯気が、それと同じ演出をかってでてくれたんだ。 雪の日だからね。 いいでしょ?      

 

雪の朝にエッグベネディクト

別にこんな日に休みたくもなかったけれども休めって。。。

仕方がないからちょっと前から、今日は一日中読書をしようと心に決めていた。

そして朝食はいつもと違うものがいいね! って思ったんだ。

簡単で休みの朝をおしゃれに演出してくれそうなものがいいな。

エッグベネディクト、これ、簡単そうでいいねって、急に思ったのが昨晩。

材料は?なんとかなるだろう、なんて感じで。。

昨日の夜ちょっと気がゆるんでビールを飲んだ。たった一杯だけね。

なのに朝から頭が痛い。。。まったく。。ヱビスにしておけばよかった。

貰い物の他の種類のは身体にあわなかったようです。

そんなデリケートな人間じゃないはずなのにね。

それでも頑張って、初めて作るエッグベネディクト。気持ちが上がる感じするね。

でも、そこからちょっと意地悪されたよ、  自分から自分にね。

レンジでポーチドエッグを作ろうとしたら中で飛び散っていた。あ~。。

気を取り直して

綺麗に掃除してからミルクを温めると、またもや温め過ぎで破裂した。

マフィンがなくてクルミのパンでちょっと違う。

ベーコンは薄切りを2枚のせようと思っていたけど1枚しかなかった、

仕方ないのでハムを1枚のせようと思ったのだけれども、

1枚と思ったハムは薄切り4枚もあってフライパンからあふれ出るように

カッコ悪い体裁でくにゃくにゃとまるで人をコ馬鹿するかのように踊っていた。

雪の朝はやっぱり寒く、パンが冷たいのでちょっと温めて食べたらいいね!って

思ったのはオランデーズソースをのせてからだった。

さぁ、どうしますか?

冷たいままでいきましょうか?

オーブンで軽くでも温めたらソースは固まってしまうだろう。

選んだのは後者。。。だって寒いから。。

ポーチドエッグは、完全なる完熟卵の微塵と化し、

ソースはある意味いい色に焼けてしまった。

パンの上にのせたベーコンやらハムがだらしなく飛び散らかしている。

もはや、いや、最初から?エッグベネディクトってやつじゃないよね。

 

いいのさ、それでも、Bayfmを聞きながら

フォークとナイフでそれらを丁寧に口に運ぶ。 うん、今日はついてないのさ。きっと。

さて、雪はどのくらい積もったかな?

窓を開けると、お役ごめんと居眠りしていた網戸があっ!て、びっくりして

レールから外れ、飛び出して落ちた。  まったく。。

雪の朝にエッグベネディクトはもう作らない、いや、作っちゃいけないんだろう。たぶん。。

 

 

 

TIN's バーガー

今日は、高崎の市民センターでお勉強をした。

高崎市というところは、昨今のDSGs幸せな市ランキングでなんと11位だそうです。

神戸が8位ってあたりからしてなんかスゴイ。

県としては、茨城同様、最下位争いをしている位なのに。。。

確かに、昨今は立派な芸術ホールも建設されたし、駅周辺はマンションが乱立しております。

東京へは新幹線で1時間くらいですの十分通勤距離だからでしょうか。。。

今日も無料でお勉強をさせてもらえましたし、、、、

と、とこで以前から気になっていたハンバーガー屋さんに行ってきました。

もう十年くらい前になりますが仕事でアメリカ北部に行ったときに食べたハンバーガーと

同じ味がしました。

いつか、アメリカの方がきたらここへ連れきてみようかな。

厚みがあるのでナイフとフォークでもどうぞ、と言われましたが頑張ってガブリつきました。

ハンバーガーは、やはりそれ。

えっと、ウィンピーみたいにね。

フォード対フェラーリ 

なんというベタなタイトルだろうか。

きっと怪獣映画ばかりをみてきたオジサン達がネーミングしてしまったのだろう

と、思っていたら英語のタイトルもそのままだった。

朝一番が空いているだろうと、大きな映画館には、開演になっても10名ほど

これは、いい。

内容は、あれ、それ、うんぬん。

でも、見てよかった。 車が好きなら身震いするようなものばかりでしょ。

彼の子供がその後、どうなったのか? そっちばかりが気になったけれども。。

それともう一つ。

3時間の残り1時間は、おしっこをガマンする己との戦いであった。

ハぁ、これだから困るね。 オジサンは。。。。

 

 

 

 

 

走れ K-100

あ、やっとアクセスできた。 ほんと困ったものだ。。。

と、気持ちを切り替えて。。。

最近、車に話しかけている自分がたまにいる。                                    そろそろヤバいのか? うん、そうかも知れない。                              でも、そんな自分のルーツを今日、知った気がする。                             ヤフオクをみていたら6輪の寂れたバギーカーが売りに出ていた。                        もしや、と思い調べてみたらやはり、あのK-100の元になったものだった。                     K-100、いつごろのテレビ放映だったのか調べてみたら1973年であった。                そうか、自分が小学校4年かそのくらい。。 もっと小さい頃に観ていた気がするがそうでもなかった。 と、いうのもこれを観ていてなんどかポロポロと涙を流した記憶がある。 K-100は、元機関車という設定でゴムタイヤに換装された道路を走れる機関車だ。そのK-100は意志をもっており、言葉は発することはないのだが、怒ったり、悲しんだりすると警笛がボーとかピーとか鳴って感情を表現し、時に何かにビックリしたり、感情を露わにするような場面に出くわすと、運転手がいないのに勝手に走り出したりするのだ。北海道にいるおじいさんのもとへ行くために主人公とともに鹿児島から日本中を駆け回っていくのだ。(続編では沖縄に行ったみたいだけど。。)K-100は、道路を走るばかりでなく、階段もぐいぐい登り、そしてなんと水の上も可能というまったくもってスーパーなマシンであった。ただ、遅いというだけで・・・ 話は、どんな内容だったか詳しいことはまったく覚えていないが、なにかと涙する場面が多く、K-100のカナシイ警笛がピ~とか、ヒ~とか鳴ると思わず涙がこぼれ出てしまうのだった。                        K-100は、今のキャラクターのように流暢にしゃべったり、むりくり目と口をくっつけたりそんな情緒のないことはしないで、あくまでも機関車なのです。        ただ、警笛と行動で感情を表現する。それゆえ、見る人が悟らなければならない、感じねばならないので、余計に感情移入したりもするのだったのかもしれない。          そんなモノに対して、感情移入するようなテレビを子供の頃観ていたから、きっと今になって根付いた感情が加齢によって露呈してきたのだろうと、今日、知ったような、わかったようなそんな気がするだ。                             自分の車でどこかへいって無事帰ってきたり、沢山の荷物を積んだり、寒い日、暑い日、ヒーターの温風や冷風でホッとしたり、そんなとき、つい、ありがとう、などと言ってしまうのは、これだよきっと。(と、ヤバい自分を何かで肯定したくて。。)                                    ミニにもカルマンにも今の気持ちがあったらもっと大事にしてあげられたのかも知れないと、ちょっと後悔するくらいに。。。                           そうそう、さらにだ。 私は黄色い1つ目のフォグランプがなんとなく好きだ。      そのルーツもK-100だったのだ! K-100の目に相当するものは、K-100のヘッドランプ。 これを黒い布で覆ってしまうとK-100は感情を封じ込められただの機械になってしまうのだが、もしやと思ってK-100の画像を調べてみたらK-100は、黄色いヘッドランプがカタツムリの目のようひょこんと飛び出てひとつだけ付いていた。                                      これだ。。きっとそうだ、黄色いランプに魅了されてしまうのは、あのときテレビでみたK-100の黄色い目玉だったのだ。                             顔もない、喋りもしない乗り物にも感情移入できるというその設定は、今では逆に新しい手法かも知れないな。

 

おひとり様

巷では、おひとり様があふれている。

自分もそのひとりなのであろう。

でも、そろそろ、そういうには飽き飽きしてきた。

自分時間は大切だろうけど、時が経てば、年をとれば、

余計にひとりでは決して生きられないことを感じるばかり。。

SNSで配信。。それにしたって誰かが見ていてくるだろう

期待感がかならずどこかにある。

誰も見せたくない、聞かせたくないなら、決して配信などしない。

それでいて自分は、自分はと言うのはあまりにもシンプル過ぎて

笑いさえこぼれ出てきそうだ。

そしていかに自分が自分の知らないうちに人に助けられて

生きてきたことを痛感する。

俺は、俺はと言っている人に限って俺だけじゃないってことに

気が付かないのかも知れないな。

もっと、もっと学ばなければ、もっともっと、知らなければ。

自分への戒めとまわりへの感謝を。