La RENAULT

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RENAULT4

ちょっと前にフランス語で綴られた本を入手した。

なかなか興味をひく点がいくつかあったのでその本の中からこれから一部抜粋していこうと思う。まず最初がこれ。

なにせおフランス語なので皆目何が書かれているかわからない。こちらの写真はどうやらルノー4のプロトタイプみたいだ。

私個人としては、こっちの方がいいな。 

お餅の上に3/4の大きさのお餅を乗っけたようなデザインでリアは、その2つのお餅を包丁で切ろうとしたら思いのほか硬くてまっすぐ切れずに70度程度に傾いてストンと一気に切り落とされらようである。この当時に2BOXカーの原型を拵えたのは素晴らしい。元祖5ドアなのだろうな、きっと。

今も昔もデザインの段階から市販になるまで随分と角がなくなってしまうように思えるのだがルノー4も例外ではなかったようだ。

 

 

拝啓 田村セツコ様

今日は、あなたにお会いしたく。

 

今、だからこそ、貴女にお会いしたく存じます。

 

勇気をもらえるのです。

 

100ヶ条拝見させて頂きました。

 

多分、必然でした。導かれたのかも知れません。

 

おちゃめですし、そしてなにより素適です。

 

ありがとうございます。

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前橋文学館

 

ひっかかりとからまり

引っかかる、絡まる、 不思議ですね。

紐がくるくる巻いてある。コードが束べねてある。ちょっと前まで(私は今も)のイヤホン。

使う時、どうしてあのようになるのだろう。 一度としてすんなり解けたことがない。

これを証明する数式でもあれば欲しいものだ。

それは、まったく人生みたいなもので、思い通り行かない、すんなり行く事はほぼない。

それと同じだ。

始末のやり方をある法則をもって片づけておけばこのような事はないのだろうが、

それができない、いつもまで経っても学ばない、学べない。

いや~、困ったな~。

大切なこと

私には2人の兄が”いた”。

上の兄の影響だと思うし、当時の子供なら極普通の流れで、僕はプラモデルを作るのが大好きだった。 小学校4年生の時はタミヤの1/48に凝ってジオラマなんかを造ったりもしていた。

これは、それよりももっと前の話だ。当時、なけなしの小遣いをはたいて50円やら100円やらのプラモデルをTERADA文房具店で買うことが度々あった。まだ小学校1、2年だろうか?そのあたりの記憶は薄い。。50円のプラモデルは大抵、どこかの国の戦闘機で、メッサーシュミットとかスピットファイヤーかなんかの簡単な構造のプラモデルだ。それでもそれを作ると、一人で空中戦闘ごっこをして何時間も夢中になっていたようなこともあったように記憶している。。。

あるとき、コタツにもぐる(赤外線の赤い光の電気コタツだ!)と、えっとその前にコタツの説明が必要ですね、私は、あの赤い光の暖かい、時には熱い、あの光がなんとなく好きでたびたびコタツの中に頭を、いや、体ごと突っ込んでいるときがあった、まるで猫がそうするようにね。

その赤い光の中に見つけてしまったのだ。あれを。

それは、革のようなもので作られた茶色と黒の縞々のラグビーボールの形をキーホルダー付のサイフであった。それは紛れもない下の兄のサイフであった。その中に数百円のお金が入っていた。

どっきん、ドッキン、心臓が強く脈打つ、ほとんど無意識に僕はその中から200円を抜き取っていた。

そしてそれを持ってTERADA文房具店へ直行した。そこは文房具店ではあったけれどもオモチャやらプラモデルやら、おおよそ子供が欲しいものはとり揃っていた。小学校の近くにあるんだもの、罪なお店だ。。

買ったのは、当時のレーシングカーだ。白いボディー、ミッドシップされたエンジンは8連だか10連だかのキャブのようなメッキパーツが光輝いている。とてつもなく大きなウイングが後ろに聳えている。今思えばトヨタ7かなにかかも知れない。

でも、僕はその200円のプラモデルを作ることができなかった。50円、100円のプラモデルと比べて、それはパーツが多くて僕には難しかったのだ。

僕はそれを上の兄に頼んで作ってもらったと記憶している。

出来上がったピカピカのそのレーシンガープラモデルを僕は、誇らしげに家族が集うテレビの上に飾ったのだ。(昨今、テレビの上が物置なんて話はなくなったね、熊の木彫りとか、王将とか、一番の飾りものはテレビの上と決まっていた、ビニールのレース調の下敷きを敷いてね)

家族で食事をしているとき、早速、母が、その異変に気が付いた、 〇〇〇!、そのプラモデルはいくらしたんだい? 僕はすかさず答えた 50円ってね。

 

”当時の”子供の自分にはまったくそれがウソだなんてバレるはずもなかろうと自分の尺度で計算しているから愚かなものだ、ひとつついたウソでもう犯した罪はまったく過去のものとなり、綺麗さっぱりその夜はぐっすり寝たのだろう。

翌日か、何日してかわからない、 〇〇〇来なさい! と呼び出された。

父と母がそこに座っていた。その雰囲気は初めてのことだった。

 そこに座りなさい。。

まさに波平に怒られるカツオくんのそれだった。

どのように、追求されたか覚えていない。下の兄のサイフから200円がなくなっていたこと、突然真新しい、明らかに50円ではないプラモデルと、僕の怪しい言葉がまさに点と点をいとも簡単に定規なんか使わないで手書きで簡単に繋がりを突き付けられたのであろう、そして大して長くはないいくつかの言葉のやり取りがなされ、あっと言う間の時間が経過するとともにまたどっきん、ドッキンと心臓が大きく鼓動し、僕の目から涙がボロボロとこぼれ落ちた。そしてゴメンなさいと、大きく、深く誤って、心底反省し、下の兄にも謝るように言われ、またもや涙をボロボロ流した。

もう、こんなことはするまい、まだ至極若い脳の表皮にハッキリと刻み込まれる。そうして学ぶのだ。これは悪いことだった、やってはイケないことだったのだと。

そうやって子供のうちに悪いことをしておいて良かったのだろうなと、よくない事件、事象をテレビ等でみて思うことが度々ある。きっと、あの人達は、子供の頃、僕よりもずっといい子だったのかも知れないと。。

そして、まったくもって繋がっているのかも知れないと思うもこともある。あのとき何故、コタツの中のすみっこに兄のサイフが落ちていたのか、50年以上前にそれはすでの教えられていたのだと。それが神様っていうのなら、運命のシークエンスだっていうのなら、きっとそうなのかなって。

 

 

 

 

 

ミニチュアボトルコレクション 4

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古者 新規参入

これは、新たに参入したミニチュアボトル達だ。

以前にも記述したが基本、酒屋で購入したものでオークションなどで手に入れた二次媒体のものではない。 まだ、探せばあるものだと正直、驚いている。

 

最初の店では、ジャックダニエルを購入、これは既に所有しているが、酒屋でミニチュアボトルを見つけるとつい、うれしくて買ってしまうのだ。

その次は、空振り。

その次は、店の奥からいらっしゃ~いと優しいおじいさんと思しき店主殿だ。

びっくりした。 角の新品が3つもある。他にもいくつもあって、皆160円だからね~と優しく声をかけてくれた。なんてうれしいか。。

うれしさの半分以上は、店主のやさしい受け答えだ。以前にも記述したがミニチュアボトルありますか?と聞くと半分の店主が眉をしかめて”無いね”とまるで厄介ものを追い払うように言うのである。 以前田舎の酒屋らしきところでなどでは、そんなものはない、我儘なんか言うんじゃない!となぜか怒鳴られたこともある。なんで怒るのかさっぱりわからない。。

4件目に行く途中、スゴイ店を発見した。その酒屋はGoogleマップに記述がない。

店を覗くとホコリを沢山被ったウヰスキー達がずらりと並んでいる。そのホコリたるもの尋常ではなかった。 しかし、私が店に入るとそこの店主はいらっしゃい~と普通の挨拶をしてきた。それも掃除をするフリをしながら、いや、あなた普段掃除なんかしていないでしょう?   気を取り直して、

ミニチュアボトルありますか?と聞くと、あ~ここにね~ え~と、と指さしてくれたのは、入口際にあるガラスのショーケースだった。ショーケースは子供の頃によく見たおもちゃ屋にあるようなショーケースでその中にこれまたたっぷりホコリに塗れたミニチュアボトル達がずらりと並んでいた。 リザーブの黒、ダルマ、それらが30本はあろうか? その中になんと純の角3つ、HEAMES オレンジビター10本程度(どれも状態よろしい)、そしてTOMATIN The pot still が2本、他焼酎らしき空瓶。。

素晴らしい、まるで生きた化石?でも見つけたような感激です。 その中からキレイそうなものをいくつか取り出し、購入。 全部で800円。。 The pot stillは減っているからとタダでくれた。

ここでやめておけばよかったのだが5件目には例のパターンだ。

その店の店内はやはり寂れていた。商品もほとんどない。

でも、勇気をだして ミニチュアボトルありますか?と聞くと、

怪訝そうな顔がさらに加速し そんなものは無い! と近所の悪ガキを追い払うようにオジサンに向かってオバーサンは怒鳴りつけたのであった。

あ~、後味が悪い。なんでかな? でもパターンとして怒り出したり、すごくイヤそうにする店は、ほとんどが商品などなく、ラベルも色あせたものばかりで、もはや物を売ろうとする姿勢を微塵も感じない点が共通している。まず、向こうからいらっしゃなどという言葉は出てこないのです。もしかしたらすでに酒屋業はやめてしまっているかもしれない、だから触れては欲しくないところに突っ込んで欲しくないのかもしれない、店は開いているのでなく、ただその人の御宅の通用門でしかないのかも。

と今は、そのように考えている。

でも、総合的に鑑みてもミニチュアボトル探しは楽しいものだ。

 

 

初秋の軽井沢散歩

朝8時、フランスベーカリーでバゲットを2つ購入。

まだ、ほんのり温かい。

別のベーカリーでは、肌寒い中、テラスでモーニングを食す人やら見受けられた。

朝は、人通りも少なかったけれども、お昼近くには、旧軽銀座通もまあまあの人通りとなってきた。GOTOの影響だろうか。

三笠ホテルは現在改装中ですが、道路向かいにある旧スイス公使館は、ご覧の通りである。 葉やほんのり色つき初めているようだけれどもまだ紅葉になるのをうっかり忘れているようだった。 土台の丸太もかなり浸食され、少しばかり心配である。こちらももうちょっとお手入れして欲しいところである。

 

室生犀星記念館の苔は、ここのところの雨のおかげで素晴らしい緑の絨毯を敷いていた。

こちらは、改築も終了し、3帖の元書斎をみることができるのは嬉しい。

3畳間は、狭いけれどもなぜかそこに佇みたくなるような不思議な広さで、この適度の狭さが執筆には必要だったのかも知れないな~と思わせる落ち着く感じである。

折角だから、川端家別荘と、こちらオノ家別荘も拝見。 どちらも朽ち果てていくように思えるほどの状況であるが、それもまた軽井沢なのだろう。

少し、肌寒いようではあったけれども、散歩するには気持ち良い。。。8kmほどウオーキング。。。

カティーサーク♪

ティー~サー~クのドスの効いた声は多分、松崎しげるさんでしょうか?

女性のやさしい声の方は、その後だと思う。

 

2年程前だろうか、ホコリを被った酒屋の陳列棚にこれはあったのだった。

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カティーサーク

ミニチュアボトルのケース丸ごとは珍しいと思う。

即座に買ってしまった、 店の方は、こんなもの買う人がいるなんてと、いう顔をしていたけれども。。。

懐かしいな~、なんていいながらカティーサークは飲んだことがない、

多分。。。