がむしゃら1500キロ wo~

あるときyoutubeで日本の自動車の歴史みたいのをみていたら、浮谷東次郎さん(今もご存命なら71歳?)が例のカラス(ホンダS600)でかっとんでいた動画にたどりついた。。。。15年以上前、TV。。 CGTVかな?で浮谷東次郎さんのことは知っていたが改めて見ると東次郎さんのことが今、無性に知りたくなった。あれ、これとたどると、この2冊の本に出会った。

一冊は東次郎さんが中学3年のときにクライドラーというバイク(モペット)で千葉から大阪まで往復1500キロを走ったときのもの、もう一冊は高校になってから単身アメリカへ2年半行ったときのもの。

さて、早速読んだ”がむしゃら1500キロ”  時は1957年真夏。愛する単車はドイツ製の50cc クライドラー。 クライドラーは知らなかったな~。。。本の内容は実は半分くらいは当時の彼の日常生活、日記からの抜粋だ。拍子のタイトルからいらんものばっかりと思う人もいるかも知れないけどあった方がガキくさくて良いな~。最初に出てくる日記は中学1年のとき、このときの日記はひらがなも多く文もよりつたない。。。でも、それがいい、さすが中学生で後半になるとだいぶ漢字が多くなっているのがおもしろい。

まず、あ!と思ったのが”からす、かん三郎”のサブタイトルから始まっていることだ。かん三郎とは当時飼っていた愛鳥(カラス)の名前なのだがご自身がカラスと呼ばれた愛車で亡くなっている。。。中学の時だから自分の未来を予期してカラスのことを最初に書いたとは思えんし、それとも亡くなったあとに意図的に編集されたのか、何れにせよ、伝記はカラスで始まり、人生はカラスで終わっているとはなんとも。。。。彼の伝説と事故で亡くなってしまったイメージからするといかにも無茶な人だろうと思うが、少なくともこの中ではとにかく無事故で帰ることに気を配っていることが伺える。 当時、原付でヘルメットなどかぶる人はいなかったろうに彼は、真夏なのに皮ジャンパーを着、ヘルメットをかぶり、彼なりの防備をしている。。途中、メグロやラビットに乗っている大人が半袖でいることを批判もしている。。もっとも当時の東海道はいたるところでジャリ道だったようで長い道のりそうでもしないと大けがするよう道だったからだろうけれど。。

読みどころは人によってさまざまでしょう。小生の場合は、ちょっとしたこんなことが印象に残っている。グッシ(グッチのことだと思う)にのるイタリア人宣教師と出会った。途中茶店で二人はライスカレーを食べた。どうみてもおごってもらいそうな雰囲気だったので東次郎さんはおごられるのが好きではなかったから気が付かれないようにライスカレー二人分の代金を払った。中学生の坊主が親からもらったお金で大人におごったのだ。。。食事後、イタリア人が代金を払おうとすると店員からお連れの方からもういただいていますと言われた。イタリア人は少し怒ったような顔でなぜそんなことをしたのですか?と東次郎さんに尋ねた。東次郎さんはすぐこう答えた。『ここは私の国ですから私がおごりました』と。。そうするとイタリア人宣教師は急にニコっとして『ではあなたがイタリヤにいらした時、私は、おいしいものをたくさんおごります』。と。。そのあと、 やったぞ、こんなことでイタリアにいったらイタリア料理が食い放題だ!と現金なことを言って、さらにそのあとちゃっかりイタリア人宣教師の教会に行き、ご馳走され、泊まりもしている。(向こうがしつこく泊まれと言ったらしいが。。。)、中学生がそんな行動、それにとっさにあんな事を言えるのかと関心したと思ったらその後は子供っぽさがでている、そんな年頃の青年?少年?の一コマ。。。実はこの伝記では東次郎さん自身の思い、悩み、つけあがり、おごり、やさしさなど自身のことが多く、人とのふれあい的なものは多くない。でも人種が違うとも同じ単車乗りであるだけで友情のようなものが生まれるんだなとそこもおもしろいし。(もっともその当時は今よりずーっとバイクなんて贅沢品を乗る人は少なかったからなおさらだろうな)。。また東次郎さんは自国を主張しながらも自身はドイツ製のモペットを乗っている。一方、相手はイタリア人で異国の地なのにイタリア車。まだ日本に良いバイクが少なかったことを伝えているようで興味深いし、東次郎さん自身も言ってる事とやっていることがちぐはぐな気がして面白い。

所詮はお金持ちのチュー坊のことなのだけど、小生は楽しく読ませてもらった。それを証拠に大抵は一冊読み切るのに1ヶ月もかかるのだがこれは三日で読みきった。マンガを読んでいるように寝るのが惜しいくらい珍しく食いついで読んだわ。。。多分、複雑な表現は使っていないから小生のようなものには当時の中学生の文章でちょうどいいのかも(笑)。それとどうもフィクションよりもこういった事実に基づいたものの方がワクワクするみたいです。

もう一冊のアメリカ編は、もうちょっとじっくり読むことにしよう。