①車。。微かな記憶

親父は昔、自動車整備士だった。 まさに高度経済成長が高まろうとしている中、その仕事の選択はかなり自然だったのだろう。 その後いくつかの仕事を経て自営業の道を選んだ親父だった。40歳にして脱サラして始めたらしい。もはや今の自分より若いころのハナシだ。 そんな家庭の車は、親会社の矢印マークがデカデカとドアに書いてある商用バンだった。けれど親会社の車ではない。その証にドアの下あたりに今は懐かしい”自家用”の文字がしっかりと書いてあったからだ。 車でどこかに連れていってもらった記憶はあるがいったいどこへいったのかはあまり覚えていない。 どこかへ車で出かけるには親父はその前にひと仕事する必要があった。それはバンにはギッシリと仕事用の工具が詰まっているから、家族五人が出かけるときはその工具達は、貸し駐車場の一角にすべて下ろし、荷台を空っぽにして仮想ワゴン車と化させるのだ。その荷台は汚れているから発砲ウレタン系っぽいピンクのシートがそこに敷き詰められ、いつもそこが私の特等席となる。。バックやらの荷物と一緒に。バンの荷台は広くていいが、暑いし、ウルサイ。もちろんウインドウにスモークなどない、エアコンもない。でも、子供は平気でそこで眠ってしまうのだ。。 今思えば過酷な環境だった。 つづく