針の無い時計
これ、いつごろのものですか?
そうだね、昭和一けただね。。
そう、年配の店主は今日、教えてくれた。
いつだったか信州のあるアンティークショップで振り子時計の中身だけ、歯車の部位だけが店先に出されていた。真鍮の色がややくすみ程よい味がでできた歯車の集合体だった。 ふと、それを手にしたらなんとわずかながら動き出したのだ。。 なんでもスチームパンク愛好家がこれをバラバラにしてアートするのに使うためのもらしい。するとこれはやがてバラバラにされてしまうものなのか。。なんとカナシイ。 彼のメッセージを私は受け止めるしかないように思えた。
単なる物に過ぎない彼は私に、助けてくれ、生きているよ!と言わんばかりに最後の力を振り伝えたのだ。人間で言えば肉もない顔もない、骨身だけの無残な姿だ。。 思わず購入してしまった。 1100円だったけど、1000円にまけてくれた。 いつか君を動くようにしてあげたい、そう思ってしばらく引出しの中にしまったままだった。
新町にある古い時計店に先週足を運んだ。別にその時計店にいくつもりではなく別用でそちらに行ったのだが、ふとその店の前を通ることとなった。 あっ、ここあの時計店の通りだ、以前はなんにもないただの廃れたお店のように思えたのに先週は、無性にその店に寄りたくなったのだ。 すみません~、言うもまもなく店からいかにも時計店の店主といたおじいさんと思しき方が紺色の毛糸の帽子をかぶってゆっくりと出てきた、。、いらっしゃい。。。そう、店主はいうとシニアグラス越しにこちらをいぶかしそうにながめた。
すみません~、振り子時計のゼンマイをまくあのねじ回しありますか? あるよ。そう店主は言って手元にあるくすんだ箱の中からいくつかを指差しながら、三種類あってね、穴の大きさが違うんだよ、どれだい?と。。
と、聞かれても私にはとんとわからない話で、店主いわく普通サイズというものを購入することになった。はい、そうだね1000円もらっとくかね、そう店主は行った。 私の心の半分にもしかしたら無料でくれるのでないかと勝手思ったのなんとも厚かましいことだ。 そう思ったのはその店はホコリだらけの商品と色あせた広告と山積みになったパーツやらなんやらの箱があり、いかにも誰も来ていませんと思われるようなお店だったからだ。
ありがとうございますと1000円を渡し、もしかして合わなかったら取り替えてやるよという優しい言葉をいただきその店を後にした。
その時計店は、今から3年程前だろうか、Barのマスターから聞いた時計店でマスターが書いてくれた住所と店名の紙切れをしばらく財布の中に入れしわしわになるまで放置しておいたそんなひょんな話のついでに出てきたそんな淡いつながりの店で、何も昔から故意にしているような店でもなかったし、特にアンティークに詳しいとか、最近巷で人気だとかそんな流行の店ではなく、シャッター街の片隅に佇むようなそんな店だった。ただ、商品がどうかではなく、ベテランの店主であろうことは確かそうだった。
それから一週間たち、蒲団に入り枕を後頭部に受けるたびに剥き出しの歯車の時計のことが気になっていた。そして、今日、いても経ってもいられないような心持でおじいさんにあいにいったのだった。 それは、もしかしたら振り子もあるのではないかと思ったからだ。
こんにちは。というと
店主は例のごとく出てきた。 いらっしゃい。。
あの、先日、これを(ねじ回し)購入したものです。それで、もしかしてこちらに振り子時計の振り子だけってありませんか?
そういうと店主は、軽く言ってくれた。 あるよっ、昔はね振り子だけでも売っていたんだよ。と。
なんて頼もしいのだろうか、オークションやらなんやらで目くじら立てて探さなくたって地元のお店にあるじゃないの!
今回は、私が購入したその歯車だけを持参していったのでそれに合いそうな振り子を探してくれた。生憎予備のものはなかったが床に置いてある古い時計から振り子とそれを支える針金とバネを取り外してくれた。 そのままでは合わないようで時計店らしく、先の細いペンチのようなものでバネと針金を取り替えて新調してくれたのだ。 それと私は勘違いしていたけど正しい取り付け方法も教えてくれた。 工賃と部品代含めて。。。そうだね、500円もらっとくかね。と嬉しい取引だった。 500円だまを財布から取り出し、店主が受け取るとその500円だまをどこかに箱の中にチャリンと無造作に店主は投げ入れていた。
ありがとうございます! それは私が言った言葉だ。こちらがお客と言えばお客だが500円以上の価値ある瞬間をいただいたのでその言葉は当然私の口から大きい声となったのだった。 私のために部品を取り出されてしまったかわいそうな振り子時計にもありがとうを言ってその店を出た。
そそくさと帰って、帰路途中に豆で買った珈琲をひいてそれを飲みながら、店主のいうようにその部品を取り付けたのが冒頭の写真だ。至福のひと時であった。。。
時計の歯車本体はそのまま壁にねじ止めした。時計の中に歯車があるのではなく、家の壁に歯車がある状態だ、こうなると家全体が時計の一部ということになるだろうか。 ネジを回して振り子を動かす。。 動いた! でも、しばらくすると振り子は止まってしまう。。。でも歯車が丸出しなので構造がよくわかる、カチカチいう部分にミシン油をあてがい、もう一度ネジを回し、振り子を振ると今度は止まらず動き出した。。動いた!動いた! 針もないけどとにかく振り子で時を刻んでいる。 しばらくするとあて金のない行きどころなくなったハンマーも動き出す、 おおそそ30分に1回、60分に数回ハンマーが動く、。本来ならここでボーン、ボーンとあの音がするハズだけど、その音を発する装置もない。
でも、いいのありがとう、うごいてくれて、ありがとう。 今日、何十年ぶり?かでカチカチとその刻み音を復活させることができた喜びは一入だ。 その音を聞いているとなぜか本を読む眼がいつもより早く進む、そして、子供の頃に行った医者の診察室や、どこかだかわからない懐かしい場所を思わせる不思議な気持ちだ。 こうやって、パソコンのキーを打っている頭の上で彼は今も時を刻んでいるのだ。 歯車を包み込む箱もなければ、時を示す針もない、でも生きている、しっかりと主張している振り子と音だけの時計、それでもとても、いとおしいのです。