黒い雨

僕はいつしか、文庫本を集めるのが趣味になっていたようだ。

文庫の良いところは、小さいこと、そして比較的安いこと、そして、文庫本になったということは、そこそこ売れた本であるに違いないからどんな内容かわからないものであっても、多分、そこそこの筈であろうと勝手に思っている。

今時、紙の本?というのもあるけど、文庫本を買う際は、なるべく新品は、買わず中古を買うことにしている。

安い、というのもあるが、年月が経過して茶色くなったあの紙の質感が好きなのである。 また、誰が読んだのだろう?とromanに似た感傷を、その数百円の文庫本から受けている。

 

戦前、或いは終戦前後の記述のあるものに何かひかれるものがある、それは、今よりずーっと苦しい時代を生き抜いた人たちの息吹を感じられ、生きる勇気のようなものをそれは僕に与えてくれるからだ。 いかに自分が小さい存在であるか、そして、生きるとか、死んでしまうとか、そんなことがフツーになって受け入れることができるのです。 もちろん、不安ですし、怖くてたまりませんよ。 実際。

けれども、これらの本に記述されている内容からすると、今なんてホントに些細なことにさえ思えることもあるのです。

それが、例えば、この黒い雨、 井伏鱒二 著です。

 

広島には、出張で一度だけ訪れたことがある。僕の住んでいるところに比べたら遥かに都会なのに、なにか暖かいものを広島には感じたのを覚えている。

明らかによそ者のであったためであろうし、広島というところは、沢山の観光客が訪れているところなので、よそ者にやさしくしてくれるのかもしれない。 私がダイソーで買った(広島が本拠地だけあって、品揃いがスゴイ!)手袋を落としてしまったことがあったが、百メートルも後ろから手袋落としはりましたやろ ? みたいなことを言って僕の手袋を拾ってくれたのだ。

また、路面電車の乗り方がわからない僕のようなものに、若いサラリーマン風の方は、笑顔でやさしく教えてくれた。

いいところだ。と、そのほんの小さいなことで広島というところが大好きになったのであった。

そして今、この小説を読みながら、これら悲惨な体験をされたからこそ、何が大切なのか教え、教えられ育ってきた方たちだからなのだろうなと思っている次第です。