エリック~

昨日、高崎シネマテークの前でふと、足が止まった。

ERIC CLAPTON 。。。

ほう、そうか、こちらはドキュメンタリーか・                                ならば、どうにしたって観るしかないなと完全に思った。

ボヘミアン~ があんまりにも騒がれてちょっと敬遠していたのでそれならば私はこちらで行きますといわんばかりのへそ曲がりというかマンマと罠にはまった至らぬものである。

一般は1700円。。。 うん、ただ見るだけなら昨今の映画はとても高い。でも、これに関しては観るというよりも治療のためのような感性が少しばかりあったのだろうか、それならば安いものである。                              これは大切な判断だった。

その前日はなぜか脳裏にひどくこびりつくようなクサクサとしたものがあり、それの処置にほとほと困っていた。 まったく。。。                       こういったときに映画なんてものは、とてもよい処方箋であった。

結果、よい治療薬になったようだ。 途中、観ていて胃がキリキリとしてくるようなこともあったけれども、 マーシャルアンプとの出会い、絶好調、度胆をぬくクリームのライブでの奏でが今も私に沈着している。。。                      また、彼以外の登場人物も凄すぎるのにちっともUNフラージュされない。。。。

見つけるものがわからないのに見つけようとするには辛いものだ、見つけてしまってからは光線のように放って、あとは残像だけが頼りになるばかりの人生はひとつ山を越えたものにしかわからない次の風景の予兆だったのだ。 あそこに行くにはまた谷を越えなければならない。そう、いっそ思い切って飛んでいくかそれとも谷に転がって落ちて行くか。どちらを選択しても、おもうにも翼をもたない人間は、必ず日があたらない苔むした、やもすると滑って転びそうなジメジメした川べりを歩くのが定めだというにはあまりにもシンプルな辛苦である。                                けれども、もしも諦めなったのならば思いもよらぬ別ステージにいつの間にか立っている、いや立たずにはいられなくなっている自分がすでに谷の道で形成されていようだった。