足尾紀行

夏目漱石の小説”坑夫”の舞台がこの足尾だ。舞台というより当時の書生が実際に体験した内容を明治時代、新聞小説として夏目漱石が書いたものらしい。当時の生生しい状況がとって見れ、なぜ当時の日本があのような道へ歩んでしまったのかちょいっとわかるような気がするものだった。親もいない、今日、明日の食さえままならない、まして安住できる家などない、そんな人が子供も含め日本中にあふれかえっている、そのよりどころ、生きていくために仕方なく選択するもしくは、知らず知らずのうちにここに放り込まれた人達。。。。毎日、毎日、労働に労働の連続、死に絶えていく仲間もいる。そんなだったら戦争をしていた方がまだマシだとも思うくらいだったのかも知れない。。。。また足尾といえば銅山、銅山と言えば鉱毒事件がどうしても切り離せない。富国強兵、財閥の富と繁栄の陰に翻弄された人間と環境。。。。。そんな足尾銅山だけど、今は銅山自体はとっくにやめて観光の街としてひっそり佇んでいる。。。しかし、今でもそこかしこに当時の生生しい状況が垣間見れる。(と、いっても地元の方々の賢明な植林活動などの努力により私が知るここ30年の間にだいぶ緑が復活してきている)                  足尾は群馬から行くと日光の途中にあるなんだか寂しい街というイメージしかなく何度も何度もその前を通るくせに一度も寄ったことがなかったので、坑夫を読んだ後に無性に訪れたくなったので行ってみた。例によって自転車を連れて。。。

自転車を連れていうように足尾までは登りなのでそれを苦労してわざわざ自転車で行くなどという素晴らしいことは私はしない(というかできない)ので、これも初体験となる わたらせ渓谷鉄道を利用することにした。桐生まではJRを利用、そこからこれに乗り換える、始発電車に乗る。電車は1両だった。しかも最初私だけだった。

途中の駅も無人駅が多いようでなかなかのノスタルジックな雰囲気が満載だ。

渓谷鉄道というようにところどころ崖を走るが、それほどでもない。けど、驚いたのは当時(明治?)作られた煉瓦のトンネルがを何度か通過したことだ。碓氷峠の鉄道跡が今では観光名所になっているがここでは現役だった。すごい、すごいぞわたらせ渓谷鉄道

あ、ちなみに折り畳んでカバーをしてもそれが自転車とわかれば追加料金を取られます。400円だったかな?結構とられ、最初はちょい不愉快におもった。(だって、もっと大きい荷物でも自転車じゃなければ追加料金とらないでこんな小さく畳んで、誰にも迷惑かけていないじゃないか、まして誰もいないし~)けど、人がいないからいいじゃないかじゃなく、人がいないからそのくらいお金もらわないとこの鉄道の経営もままならんだろうと思うと、なんだか申しわけなく、車掌兼、切符係券、運転手の方にあやうく事前確認をしない自分が悪いクセにクレーマーに成り下がるところだった。(て、言わないけど。。)

足尾駅をひとつ過ぎ、終点藤間駅に到着。ここは終点なのに無人駅だ。                    線路はこの通りここで終わり。(昔はもっと奥まであったらしいが。。)

さて、どうしたものか?駅前には売店もなんもない。ま、そういったところがこの足尾の魅力だけどね。前方の岩にニホン鹿の小さな群れを見たあと、ここからは自転車で行く。

今は廃線となっている鉄橋と、そのすぐ下にある橋。おそらく橋が最初にできてそれから鉄道がひかれたのかな?橋を渡るには鉄橋をくぐらなければならないほど高さがないのは当時のむちゃくちゃな工事体制がうかがえる。。。村民が使う橋より鉄道様のが偉いのだといわんばかり。。。

当初、電力は水力発電だったようです。その水力発電に使われた大きな配管の一部が今も岩の近くに突き刺さったままだ。この下に発電所があったんだってさ。

その名も大正橋と銘打った橋があり、なかなか芸術的である。今は渡れなく大切に保存されている。

 

精錬所跡を過ぎて峠を登る。途中、汗をかきながらひっこら自転車をこいでいるとなにやら視線を感じた?ふとみると左の岩の上でカモシカ2匹がこちらをじっとみている。カモシカには何度か遭遇したことがあるが彼らは必ずこっちをじっとみるのだ。何か哀れな生き物をみるような目で。。。。その二匹に声をかけた! お~い、カモシカちゃん~。すると二匹は、アホくさっとつぶやいた(そうに思えた)あとにぷいっと尻を向けながら岩の向こうに行ってしまった。なんだか見捨てられた感じがした。。。カモシカにしてみれば生きるための必須行動でもないのにわざわざ汗をかいたりしている人間がなんともばからしく思えたのだろう。。。いや、自分もそう思うときがある。走ったり、なんだり、そのエネルギーの活用は営みのためになんとも贅沢な、無駄なことだと。。。

ま、そんなこんなでようやく峠のてっぺんに到着。ここから登山道があって山が好きなな方たちはここからまたさらに自分のためだけにエネルギーを消費しにいく。

とくに何があるわけでなく峠を一気くだる。するとキャンプ場があった。あまり自分のこのみではないがまあまあか。。。

さらにちょい、下ると近代遺産がちらほらある。この地域は小滝地区といって割と最初に使われていた坑道の近くで人の営みがあった場所らしい。

大正時代に作られた橋が朽ち果てている、また、その近くに当時の飯場跡があり、共同浴場跡もあった。楕円形の3メートル程度の浴場だけど、ここに坑道で働いて真っ黒になった人たちが汗を流したのだろう。(でも、きっと、この浴場を利用できた人は一部の人に違いないと想像する。無料ではなかったハズだからね、ほとんどの人は風呂など入ってなかったんじゃないだろうか?・)

小説 坑夫の主人公もきっとここにきたのだろうと勝手に推測する。となんとも言い難い気持ちになる。。。

途中、元小学校があったという場所にも寄ってみた。今は森の一部になろうとしていた。

さらに下ると立派な建て物がある。それは財閥らしい所有物で元迎賓館だった。この煉瓦の建物の裏にある。資料館で当時の写真をみると実に両極端。迎賓館の前には山高帽に髭を生やした人たちがあふれかえりそこには明治の栄華な部分がとって見れ、そこから少し離れた飯場、町にはまっくろな顔をして手ぬぐいをほっかぶりして地味な身なりの男たち集まっている”現場”がそこにある。貧富の差は今の比ではなかったろうとそれらの写真からも伺える。

そいうったところには大抵教会もあったりする。この建物も明治に作られたもので今でも教会として使われているらしい。当時の宣教師はここで何をみたのだろうか・・・

そんなこんなでぶらついているとお腹が減ってきた。足尾の駅前に行けばなにかあるだろうと行ってみたが、わお~、やっぱり何もない!町の主要な駅だけど、これまたそれが足尾ね・

駅をちょっと過ぎると古民家というにはちょっと新しい古民家と銘打ったさんしょう屋とい食堂があった。その名のとおり、さんしょうをたっぷり使った料理だ。よし、ここにしよう。11時ちょい前にいくと、おばちゃん一人が準備をしていたがまだ、開店前だと断られた。。。あと10分程度なのにいいじゃないのと思ったがそこはおばちゃんのテリトリー。従うしかない。他にないかと見て回ったがどうにもこうにも飯どころがみあたらず一回りしてまたここへ戻ってきた。するとおばちゃんが2人になっていて今度は快く迎えてくれた。

注文したのはさんしょうをたっぷりまぶした鳥丼だ。  これ、おしかった~、最初はさんしょうがうるさいと感じたけど食べているうちに病みつきになる。山椒にはなにか常用性があるのか?今でもこの味が忘れられない。

中庭もあったなかなか良い雰囲気のところだった。

さて、お腹を満たした後は、さきほど言っていた資料館でのんびりしたのだった。資料館は観光に力を入れているらしく、係員の人たちがしっかり説明をしてくれたりしてありがたい。足尾の歴史ばかりでなく、化学、民族、歴史の勉強にもなる。また資料館の外では全国のトロッコが集まろうとしていた。

全国のトロッコ好き集まれ!! ん?そんな人いるのか?

ま、いい、おじさんたちがボランティアで全国からかき集めた活躍したトロッコを復元させているのだ!!これ凄い! まだまだ仕事はんばな雰囲気ではあったが中にはレストアではなく当時の図面からおこしていちから造り上げたガソリン車なるものがあった、これは当時足尾の街の中を走っていたものを復元したらしい。車両の中にも入れるので中でう~んすばらしいと感心していたらそこに働くおじちゃんが色々説明してくれた。坑内で稼働させるトコッロは基本、電動、粉じん爆発の恐れがあるし、空気を汚す内燃機関は坑内では使えない。なるほどそうだ。バッテリーを積んで走るものが多く、これなんかもほれ、ここがバッテリー置き場。年代が新しくなるとバッテリー置き場の大きさが小さくなっている。。。流石これが古河バッテリーの威力か!いや、おじちゃん、ありがとうござました。

流線型のトロッコもあり、なかなかカッコいい。

これは内燃機関だから坑内用ではないね。

機関車みたいな恰好をしてこれが、いちからおこしたガソリン車で綺麗だった。ここにあるトロッコ達はほとんど今でも動くらしい。う~ん働く乗り物、さすがタフだわ。

町を少し下ると廃墟かと思われる変電所がある、でもこれ現役だって!すごいね。    足尾。。

さ、帰ろう、帰りは下りだ、一気に自転車で下ろう!! と、そう予想していた。。。。でも現実は違ったのだ。。。車で何度も通ったときは下りにしか感じられなかった道だがいざ自転車で通ってみると意外や意外、アップダウンの連続で予想以上にくびれてしまった。なんだかんだで80km近くも自転車に乗ってさすがにくたびれじーさんになった日だった。。。

通るだけで知らなかった足尾の歴史、少しだけ、ほんの少しだけ、教養が増した気がした。。。。。