いまさら次郎

次郎とは白洲次郎のこと。小生は世間の波に乗るのが遅い、もう何年か前にNHKで白洲次郎のことを取り上げていたそうですが小生が知ったのはほんの 2ヶ月くらい前だろうか?たまたま本屋にいったらものすごく渋くてカッコいいおっさんが表紙の本があった。ぱらぱらめくると面白そうだったが写真が多いせいか意外に高かったので買うのをやめた。帰ってからネットでみたら文庫本が安くでていたのでそれを買った。今更、白洲次郎のことについて小生がうんぬんするのはあれなんで、詳しくはこちらで見てください。白洲次郎

まーそんな感じで(すみませんWikiを見ただろう前提で。。。)とても明治生まれの人には見えないかっこ良さ。表紙は何歳のときのだろうか?白いTシャツにデニムのいでたち、特になんでもない格好だけどカッコ良すぎる。



年譜から想像するに昭和30年頃でしょうか?

祖父は白洲退蔵という人で家老だったとかで福沢諭吉とも交流があったようです。父親は文平という人でこの方がかなりの豪傑だったようです。ハーバード大学を出たそうですから単にお金持ちとかじゃなく頭もよかったのでしょう、三井銀行に入ったものの算盤なんか弾いていちゃ世間が見えなくなると飛出し、鐘紡に勤めたもののそれもすっとび出て、もう会社勤めはつまらんと綿の貿易商をはじめたらこれが当たりで大成功して大金持ち!(もっとも大恐慌でひどいめにあったそうですが。。)と、そんなことから白洲次郎も裕福な家柄で育ったようですがここではこの本の中で取り上げられていた白洲次郎の車歴をちょっと抜き取ってみました。

この方80歳になっても1968年製のポルシェ911Sを乗り回してたそうでかなりカーキチ(この言葉も今は使わないですね~)です。豊田社長にうんちくしてソアラの開発に言及してとか。。。

まず最初がなんと中学生のころ!(旧制中学だとしてもね~)ペイジグレンブルックという1919年アメリカ製のどでかい車を買ってもらったとか、いや正確には親父に買い与えられた?。。。。大正時代!それはそれは珍しかったことでしょう。中学にして宝塚の女性と付き合っていたとかでここだけ抜き取るとかなりイヤなガキです(笑)

次がケンブリッジ大学時代、留学先のイギリスでベントレーとブガッティーの2台を所有しています。このときレース三昧だったようですしベントレーでイギリス中を走りまわっています。時は大正15年。ここでもまだここだけ見てしまうとイヤな若僧です。

新婚当初にはランチアを。昭和4年頃? ここでもすごーっです。

疎開時代、終戦連絡事務局長、初代貿易庁長官時代はさすがに車の記述はない。

昭和26年東北電力会長就任49歳!就任時ランドローバー500台を社有車として社長に買わせる。本社になんか行かず、只見川ダム建設現場などへも自らランドローバーで足を運び、とにかく現場主義!特に現場で働く人たちとの交流を大切にした。ランドローバーなんて贅沢だ!と思うけど昭和のその時代じゃまともな日本車なんてなかったでしょう。(でも、1958年頃だとフェンダーんところにライトがあるいかにもランドローバーってやつですかね?野生のエルザとかに出てきそうな奴?そんなのに乗っていた当時の社員達はさぞ鼻が高かったでしょう。)日本じゃやっとスバル360が生まれた時代ですから。。。それにかなりの悪路だったでしょうから現場の事を真に考えればそれしかなかったのかな? 同じ車種に統一することは部品なども共通で使えるので合理的だと考えていたようです。

そして生涯の愛車となるポルシェ911S、俗にいうナローポルシェ。軽井沢ゴルフクラブの理事就任してからも愛車に乗って東京から自らハンドルを握って。。。。80歳!

これ以外にもベンツ、パブリカのピック、三菱ミラージュ、スバル4WD、なんかも70歳代になっても色んな車を乗っていたようです。

いや、いろんな意味で凄いです。どう転んだってないけれど、こんな爺様になってみたいものです。。。