ゴジラ対ヘドラ、そしてカルマンで山菜取り

なんちゅータイトル? 春、春、そこにある春。 日曜にふと、近くの山へ。。。。 目的は、たらっぺです。(こっちではタラの芽のことをたらっぺと言ってます。)ちょっと北へ行くと普通の人はどーみても通らない林道があります。そこの道沿いにタラの芽があるんです。。。。 でも。。。。正確にはあったんです。になってしまいました。 林道の始点から終点まで車やバイクでゆっくり流しているだけでその道沿いでタラの芽を摘むことができたんですが、今年はさっぱり。。。時期がちょっと早いってのもあるのでしょうがタラの木が見つかりません。あるのにはあっても小さくて摘む気にはなりません。。なぜでしょう? タラの芽 これは、その林道の峠付近です。ちょっと見晴らしがいい感じでしょう?けれど2年前は、ここの見晴らしはよくなかったのです。それが、ゴルフ場の拡張なのか木々が伐採されて丸裸状態です。理由はよくわかりませんが、とにかくもじゃもじゃ草などが生い茂っていたのがほとんどキレイに刈られてないのですよ。。。(寂) しかも、山菜取りに来たと思われる不審(小生も含めて)な人が結構うろうろしています。これじゃ、山菜なんて道端にあるハズもないね。。もうちょっと気合を入れて見つけないとダメな状況になってしまいました。。。 タラの芽は一番芽を摘んでも二番目芽がすぐ生えてきます。でも、摘んでいいのは一番目です。それ以降摘んでしまうと枯れてしまいます。。。。そこで質問、一番目か、二番目かわからないけどタラの芽を見つけました。さて、これを摘んでいいものかどうかなのか何で判断します? 答えは、一本の木にタラの芽がひとつしかなかったら摘んではいけないのです。それが一番芽か二番目かわからないから。。 1本の木に2つ以上芽が出ていれば1つ摘んでもなんとか大丈夫です。それをしらない輩は、1つしかない芽を”わー美味しそう”なんていいながら摘んでしまうのです。こーやってタラの芽はだんだん奥地にしか生えないものになってしまうのでしょうかね?でも、タラはクマザサと同じようにある程度人に荒らされた日当たりのいい斜面に生えるものなのですヨ。よく知らない人はスーパーでお金を出してタラの芽を買ってください。。。。 なーんてエラそうなことを言ってしまった小生ですが、そんな気持ちが芽生えたのは実はつい最近なのです。田舎に住んでいながら実は自然のことは詳しくありません。実は小生の子供の頃は近所の川は既にキレイではありませんでした、そー、世はまさに公害全盛期です。 ゴジラ対ヘドラをリアルタイムでみた子供なのです。ちょっと上流にはあの亜鉛工場がありますしね。(今は大丈夫みたいですけど) ”水銀、コバルト、カドニウム、か~えせ、か~えせ、蒼~い海、蒼~い空、か~えせ、か~えせ”←ゴジラ対ヘドラで流れてました。。。。(子供時代の記憶なんでカンベンしてください。) そんな時代でしたから自然にあるもの=毒があるかも?の時代なのです。(川で泳いだことはありませんーとてもそのような状態ではないですからね)寂しいですね。薬品にさらされた自然しかわかっていないのですよ。 だからなのでしょうか、今になって山に行くとすごく新しい新鮮な気持ちになれるのですよ。。